スピッツの曲で「ロビンソン」という曲がある。タイのロビンソン・デパートへ行った時、インスパイアーされてできた曲だというが、どこのロビンソン・デパートなんだろう?どのあたりにインスパイアーされたんだろうと、常々思っている、私の大好きな曲。
今日は、10年近く前に受けた「日本語教育能力検定試験対策夏季スクーリング」の資料を見ていて、この曲を思い出した。「「ロビンソン」の表現効果を言語学的に考える」とタイトルのついた資料3‐1のプリントに、この曲の歌詞を分析してあるのが出てきたからだ。この曲を聞いたのは、その時が初めてだった。後にこのロビンソンが「宇宙家族ロビンソン」でも、春日部にある「ロビンソン・デパート」でもなく、タイの「ロビンソン・デパート」だと聞き、え~っ!とびっくりしたのだが。
このプリントの内容はとても興味深いもので、おかげで「ロビンソン」を何回も聴いてしまった。ちょっと紹介してみよう。
♪新しい季節は なぜか切ない日々で
♪河原の道を自転車で 走る君を追いかけた
ここで、自転車に乗っているのは誰か?
1 自転車で走る君を 僕は追いかけた (自転車は君)
2 僕は自転車で追いかけた、走る君を (自転車は僕)
3 僕は自転車で走る。僕は君を追いかけた(自転車も走るのも僕)
この3つの解釈が成り立つ。何とイジワルな言語、日本語!
曲を聞くと、♪河原の道を じてんしゃで~ 走る君を追いかけた♪のように聞こえる。私は当初、「(僕は)自転車で、走る君を追いかけた」(2)と思っていた。それは「自転車で」の後にブレイクがあるから。そこでサーミーと妹に聞いてみた。すると二人とも自転車に乗ってるのは「君」だと言う(1)。こうなると、詩の解釈次第でどちらともとれる。
でもその後に続く、、
♪思い出のレコードと 大げさなエピソードを
♪疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに
で、自転車に乗っていたのは「僕」で、走っていたのは「君」だということが明らかになった。
疲れた肩に(荷物を)ぶら下げて、(君は)まぶしそうにしかめつらをした
荷物をぶら下げていたら、自転車はこげないでしょう。それから、話している人が自分のことを「まぶしそうに」とは描写しないでしょう。だから走っていたのは「君」と言ったら、サーミーが「若い子なら肩に荷物をかけても自転車をこげるよ」と言った。はて、そうなると。日本語は難しい。
この曲のタイトルは「ロビンソン」なんだけど、もちろん、私はタイ語っぽく「ロビンサン」!
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