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2006.11.23

ことば あれこれ

昨日の夜、ふとテレビ(といってもスカパーだけど)を見ていたら、わざとしょうゆで染めたワイシャツをクリーニング店に持ち込み、どれだけもとの白さになるかという企画で番組をやっていた。カメラは店の外からで、店員との話し声だけが流れている。「これ、元は白かったんですか?」と驚く店員の声。途中から見たので、実際にどんなワイシャツなのかはわからないが、店員の声から、かなりの染まり(汚れ)具合と見た。仕掛け人はさらに「それから、これ。ケチャップなんですけど・・・」ともう1枚取り出した様子。さらに驚き、困惑した店員だったが、その後の言葉には、私が驚き、困惑した。

「(お持ちになったのは)この2枚で、大丈夫だったですか。」

もういいかげんにしてくれ!と、心の中で叫び、スイッチを切ったのは言うまでもない。「この2枚だけですね。(ほかにはもうこういう手間のかかるのはありませんよね)」という意味なんだろうが、ここで、『大丈夫』にその代りをさせるのは、余りにもひどすぎる。大丈夫じゃないから、持ってきたんでしょうに。

もうひとつ今日のこと。さっきテレビを見ていたら、俳優の渡辺某が大学で講演をしたとかしないとか。そこで女子大学生が彼に質問をし、「それから、これは関係ないんですが、(渡辺さんを)すごく好きです」と言っていた。それを聞いた俳優渡辺、「すごいうれしいです」と答えた。・・・チャンネルを変えようと思っていたから、ちょうどよかったけどね。

テレビを見ると、こういうことでつかわなくてもいい神経をつかい、ちょっと滅入ってしまうので、なるべく見ないようにしているから、悪循環で、さらに疲れてしまうのかもしれない。

これは、ある意味、日本語を教えている者の宿命かも。日本語を学習する上で、ある段階ではどうしても細かいことに気をつけなくてはならないから、こちらも些細なところにまで気をつけなければならない。日本語学習者のいったん習慣化したクセは化石化してしまい、あとあとまで学習者を困らすことにもなりかねない。定着する前に矯正して直せば、その時の苦労なんて、どうってことないのだから。

しかし、毎日そういうことをやっていると、授業以外の時間でも反応してしまうので、とても疲れるのは事実だ。最近、Podcastingなどで小説を聞くことが多いのだが、日本語を教えるようになってから、日本語に対する許容度が少なくなってしまったことを、あらためて思い知らされている。古い小説は言葉のつかい方も今とはもちろん、日本語文法とも違っていて、その差異を楽しんではいない自分に気がついて、ちょっとがっかりする。かつてはこれらの小説を楽しんでいたのだから。きれいな日本語だけ、聴いていたかったら、日本語教師になどなるべきではない。かといって、日本語に無頓着でも日本語教師にはなれなくて、相もかわらず、この狭間を行ったり来たりしている。実際、行ったり来たりできるのも、日本語教師たる所以なのかもしれないけど。

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コメント

日本語教師を目指すようになってから、私も少しずつですが「あれ?」と思う場面に出くわすようになりました。ただmeewさんと違って、自分の見解に自信がないので、そのつど辞書をひいたり、調べたりしています。今はそれくらいしか学力向上に取り組めないのが残念です。早くmeewさんのように悩んでみたいです(まだ悩んだりチャンネルを変えたりには至りません)!

投稿: hana | 2006.11.24 16:11

>hanaちゃん
日本語に気を配ることには大賛成ですが、けして私のように閉鎖的にならないで下さいね。私はもうこの先たいして長くはないから、好きなことだけして生きよう等という勝手な思いから、いろいろなこととの関わりを断ってしまうことが多いのですが(スイッチを切ったり・・・、あ、でも付け加えれば、ザッピングしていただけなので、ちょうど消そうと思っていたところだったんです・・・・)、hanaちゃんはこれからの人。悩んでも、けしてチャンネルを変えないように!あれ?おかしいと思って、考えるだけでも日本語力は磨かれると思いますよ。

せいかちゃんが言葉を覚えていく過程をみることができるなんて、うらやましい限りです。

投稿: meew | 2006.11.26 09:56

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