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2001.09.30

2001年9月

meew のひとり言 2001年09月の日記

2001/09/06 (木) meew のひとり言 オープン

meew のひとり言 がオープンしました

■2001/09/06 (木) meew の自己紹介 はじめまして

今日からはじめるこの日記。10年たって、見ることがあったら、どんな風に思うのかしら?ちょっと楽しみ。

私は meew。パスポートの職業欄には「日本語教師」と書く。でも「日本語の先生」と人には言う。職業が「人一人が十分に生活していく収入を得ているもの」というのなら、私は間違っているけど、「少しでも収入を得ているもの」と解釈してそう書いている。でも、日本語教師だけで食べている人って、どのくらいいるんだろう。

趣味は何ですか?と人に聞かれるたびに、「音楽鑑賞」と「読書」ですと、答えていた。 でも、最近は本を読まないから、「読書」はもう止めた。今は「音楽を聞くことと猫と遊ぶことです」と、答えている。音楽と言うのは、タイポップス。音楽歴は長いから古い曲もよく知っていますよ。その代わり新しい曲はほとんど知らないけど。今はもっぱら、タイの音楽。それもポップス。最近は、KALAを毎日聞いていたけど、2、3日前からもうすぐ来日するLOSOのことで頭がいっぱい。

猫も大好き。以前は3匹いて、とてもにぎやかだったけど、今は1匹だけ。変な顔をした猫を飼っています。私の名前のmeewはタイ語で、猫と言う意味。タイ人は皆「チュ-レン」と呼ばれるニックネームを持っている。タイ人の友だちがわたしに「メーオmeew」(猫)と言うニックネームを付けてくれた。とてもうれしかった。

日本語、タイポップス、猫、今勉強しているタイ語...ちょっとおばさんの meew ですが、このようなテーマで毎日を綴っていきます。どうぞよろしく。

2001/09/07 (金) アライ・コ-・ヨ-ム by LOSOアライ・コ-・ヨ-ム by LOSO

 私は健康とダイエットのために、毎日歩くようにしている。歩いていると断言できないのが、ちょっと残念だけど、実際歩くようにしているのだ。肉体年齢を調べたら60才くらいなのではないかと思うくらい、体力がない気がする。とりあえずは簡単な方法で体力をつけようと思ってはじめた。

 ただ、歩くだけではつまらないので、私は音楽を聴きながら、歩いている。もちろんタイポップスですよ。CD一枚で大体、45分から50分くらい。私が歩くのがこのくらいだから丁度いいのです。今日はLOSOの『entertainment』でした。ちょっと古いけど、今月の終わりに福岡で開かれる asian month のイベントに出演するLOSOを見に行くつもりなので、ちょっと予習ね。

 Entertainmentは、確か私が初めて買ったLOSOのCD。チェンマイのホテルの部屋のテレビで見た番組は、このアルバムを紹介していた。次々とVIDEOが流れていたのを覚えている。このときはチェンマイからスコタイへ行って、その後バンコクに行った。バンコクで、このCDを買ったんだろうけど、買った時のことは覚えていない。

 その頃はタイ語もほとんどわからなくて、もちろんタイ文字も全くと言っていいくらい読めなくて(そのときは自分の名前(メーオ)と、その頃大好きだったトンチャイの名前ぐらいしか読めなかった)、何もわからない頃だったけど、タイポップスの独特のリズムとわかりやすいサウンドの虜になっていった。LOSOのこのアルバムの曲名も「メー(お母さん)」くらいしかわからなかった。今はタイトルが読めるようになったものね。その頃に比べればえらいと自分でも思うけど、まだまだ頑張らなくちゃ。
 
 このアルバムの中ではやっぱり「アライ・コー・ヨーム(何でも許しちゃう)」が好き。当時はこの言葉の意味が実感できなくて、辞書を引いて得た「なに・~も・容認する」にこだわっていて、結局なんだかわからなかった。思い切って、同じ町に住んでいるタイ人にどういう意味?と聞いてみた。すると彼女の答は素晴らしかった。「私、負けちゃう。」3年程前のことなので、彼女の日本語は今より下手だったかもしれないが、思い切った良い訳だと、今では思っている。又、聞いてみようか。日本語が上手になった今、今度は何と訳すんだろうか。

2001/09/08 (土) 私と猫の話

 私は猫が大好き。どんな猫でも好き。

 ところが、私が成人する前は猫が嫌いだった。というより、怖かった。友人と甘味喫茶に入った時、その店に猫がいたので、大好きな豆寒を食べられなかったこともあった。猫が好きではないと言う友人が、泊りに行った知人の家で、夜明けにトイレに入った際、ドアの前にその家の猫に居座られて、知人が起きてくるまで、トイレの中にいたという話を、実は私は笑えない。今でこそ「猫大好き」と言っているが、そんな過去を持っているのだ。
 
 私が猫を好きになったのは「みこちゃん」のおかげ。駅まで歩く道の途中にアパートがあって、みこちゃんはいつもそのアパートの塀の上にいた。ちょうど目より少し上の高さにいて、いつも寝ていた。誰かが飼っていたのだろうか、野良猫だったのだろうか。当時は私に猫を見る目がなかったので、なんともいえない。だがあまり若い猫ではなかったように思った。三毛の猫だったので、みこちゃんと勝手に名前をつけた。みこちゃんはいつもじっとしているので、私もあまり怖くはなかった。そのうち、私の顔を見ると、「ミャ~ン」と鳴くようになった。顔見知りの友人におはようと言っているようだった。ある日、思い切って、さわってみた。みこちゃんはじっとしていた。気持ちよさそうだった。猫がさわれるようになった。うれしかった。

 しばらく、みこちゃんとおはようを交わして学校に行くのが日課だった。だが、そのうち、みこちゃんの姿が見えなくなってしまった。いつもの塀の内側をのぞいてみたけど、いなかった。結局それから、みこちゃんには会えなかったが、みこちゃんは私の猫嫌いを治してくれた、大切な猫だった。みこちゃんに会ってから、私は猫が怖くなくなったし、猫が何を考えているのかも少しわかるようになった。そして、そのうちに「猫大好き」になって、猫なしでは生きていけなくなった。もう一度みこちゃんに会って、ありがとうが言いたい。

2001/09/09 (日) 台風を経験すること ダナス台風

今日の海は波が砕け散って、真っ白。台風15号のせいだ。サーファーの姿も見えない。さっきは激しく雨が降っていたが、今は静かになった。でも暑さは変わらず。台風独特のむっとした熱気をはらんだ空気のせいで、何をする気も起きない。仕方がないから、昼寝をしているトトを起こして遊んだ。

 この台風は15号だ。でもアジアでは別の名前がある。それは「ダナス台風」。2000年1月から140のリストから順につけられることになったらしい。この前、タイの北部に洪水をもたらしたのは日本が命名した「ウサギ台風」だったらしい。この15号の「ダナス」は、フィリピンがつけた名で、意味は「経験すること」。

 私は人一倍数字に弱くて、いまだに我が家の敷地面積はおろか坪数だってよくわからないくらいだ。数字に意味なり、人格なりを見いだせなくて、みな同じに見えてしまうのだ。だから、台風10号とか台風11号とか言われてもピンとこない。ウサギ台風がタイで大暴れ!この方がよくわかるんだけど。どういうわけか、日本国内では今まで通りの通し番号で発表されると言う。なんだかもったいない気がする。台風15号が来てますじゃ、味気ないと思いませんか。

 ダナス台風さん、あまり暴れないようにね。ちなみに台風16号の名前は「ナーリー台風」です。韓国語で意味は花だそうな。

2001/09/10 (月) きょうもLOSO DAY、いや LOSO MONTH!

 ここのところ毎日、LOSOを聴いている。知っている人は知っているけど、多分知らない人の方が多いと思うから、ちょっとLOSOの紹介。

 LOSOは、LO SOCIETYの略。で、タイのロックバンド。日本でいえば誰なんだろう。浜田省吾に似てるって言う人もいたけど。どうかな。ギターとベースとドラムの編成で、ギターのセ-クがボーカルもつとめる。曲はすべてセークのオリジナル。タイではとても人気があるんですよ。

 じつはこのLOSOが日本にやってきます。9月の22日と23日、福岡での asian months のイベントの一環で。私の住んでいる千葉からは福岡は実に遠い。航空券だって、バンコクに行くより高いかもしれない。でも、LOSOを見たいので、行ってきます。福岡まで。これで、バンコク行きが1回減ってしまった。

 で、今月はLOSO MONTHなので、発売されたばかりの the Red Album を毎日聴いているわけなのだ。あと2週間弱。ワクワク。どこかで asian month のニュースを見たり聞いたりしたら、LOSOの事を探してみてくださいね。セークってすごくカッコいいんだから。

2001/09/11 (火) 猫トトの仕事

 家には猫が1匹いる。名前はトト。漢字で書くと「魚」。トトはシャムと日本猫のハーフ。目はきれいな青い目でかなりの寄り目。手足、尻尾の先はお約束通り真っ黒。鼻の先も真っ黒と言いたいがどういうわけかピンク色。中途半端に中心からずれて黒いスポットがある。その鼻の脇は禿げている。下あごの発達が悪く、その関係で下の犬歯(猫なのに犬歯っていうのかな)は小さいときに抜いてしまった。だから指を口に入れても痛くない。舌が長いのか、いつも少し口から出している。(このベロ出しがかわいいの。)手足、尻尾の先はシャムの特徴をもっていても、毛並みはさば猫。尻尾には縞がある。

 と、まあ、こんな変な猫が我が家の愛猫。彼がこの家に来たいきさつはいずれあらためてという事で、今日はトトの仕事について考えてみた。

 もう10歳になるトトは毎日寝ていることが多い。20時間くらい寝ているんじゃないかしら。そうするとさしずめトトの仕事の筆頭は寝ることだろう。大好きな場所が2、3ヶ所あって、そのどこかで寝ている。完全に熟睡することはあまりなくて、たいていは小さな声で呼んでも薄目を明けて返事をする

 その他の仕事といえば、鳴くことだ。鳴いてご飯を催促すること。鳴いてご飯が気に入らないから替えろということ。これからトイレをするぞと知らせること。さてトイレが終わったから、きれいにしろと命令すること。

 その他には、海老せんが食べたいとお菓子の入れ物を倒すこと。さらに本の山に爪を立てて嫌がらせをすること。お客さんがブザーを鳴らすとピンポンダッシュをして、帰るまで隅っこに隠れて石になっていること。はたまたブザーの前に、車のドアの開閉で急に起き上がって、私たちに客の到来を知らせてくれること。たくさん寝たあとには、見ていて気持ちのい伸びをすること。暑い夏に一緒に寝て、日本の夏は暑いんだということを再認識させてくれること。寒い冬に一緒に寝て、アンカ代りになってくれること。最近あまりしないけど、投げた紙玉を咥えて持ってきてもう一度投げてとせがむこと。

 考えてみたらどうでもいいことをトトは一生懸命やっているね。でも、私が一番やって欲しいことは、帰ってきたときに玄関に出てのお迎え。今までの猫はやってくれたのに、トトはどうしてもお迎え猫にはなってくれなかった。でもね、いいよ、トト。その変な顔のベロ出しを見ているだけで、心が和むから。

2001/09/12 (水) コンピューターってむずかしい!&アメリカで大変!

 今日、LANカードというものを手に入れた。Kデンキに注文したのが届いたというので、取りに行ったのだ。私はデスクトップのPCも持っているけど、何とモバイルギアという可愛いPCも持っているのだ。(最近モバ子ちゃんと名前を付けてあげた)LANカードはこのモバ子用に買ってあげた。
 
 私の住んでいる千葉県K市にも、やっと最近ADSLがやってきた。もちろん私もすぐに申し込んだが、収容局(これも何だかわけのわからない専門用語だね)からの距離が遠すぎるとかで、どうしますかと言われた。直線距離にして約4Km。NTTの人は線の距離にしたら5kmくらいありますねと言っていた。どうしてかはわからないけど、電話が使えなくなるかもしれないともいわれたので、即、断念。しばらく、又テレホーダイを続ける事にしました。

 で、どうして、LANカードなんか買ったのかって?私は、結構、こういうわけのわからないのが好きなの。実は一代目デジカメ用に、スマートメディア・アダプターを持っているし、二代目デジカメ用にメモリースティック・アダプターも持っているから、これで3枚目のPCカード。まるで私たち三姉妹みたい。

 このモバ子は、遠出するときはいつも一緒。タイへ旅行するときはもちろん。日記を書いたり、写真を見たり、整理したり。とても役に立っている。

 何回か、LOSOの事を書いたけど、今月福岡にLOSOのライブを見に行く。いい年をしてちょっと恥ずかしいけどね。やらなくて後悔することはやめたので。それで泊る予定になっているホテルが、インターネット接続フリーということで思い切って挑戦することにした。LANカードとケーブルと合わせて3000円弱。いつも水不足で給水制限されているような水道の水が、どんなに威勢良く流れるのか、体験してきます。で、何でタイトルかって言うと、説明書に書いてあったことがわからなくて、午後のほとんどを費やしてしまったが、サポートセンターのお兄さんに電話をしたら、数分で解決してしまったのです。私には、わけがわからないことも、わかる人には簡単なのね。ということで、コンピューターってむずかしい!

2001/09/13 (木) タイ語を勉強するようになったいきさつ その1

 私は日本語を教えている。今ではお金をもらって教えているが、「人は誰でも初めはアマチュアだ」の言葉通り、私も初めはアマチュアだった。もっとも今だって、アマチュアに毛が生えたようなものだけど。初めは地域の日本語教室で日本語ボランティアとして教えていた。

 教室に来る人たちはみな大人(年齢のこと)だった。大人になってから外国語を、それもわけのわからない日本語を勉強するなんて、大変だろうなと思ったが、どのくらい大変かわからなかったので、私も外国語を勉強することにしてみた。今まで習ったことのない言葉を勉強してみようと思った。英語とスペイン語は(出来る、出来ないは問わないで下さい!)勉強をしたことがある。ドイツ語もNHKのテレビで少しやった。(でもミヒャエル・ミュンツァーさんが素敵なので見とれてばかりいたけど)今までやったことのない言語、さて何にしょう。

 当時の日本語教室には、アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、フィリピン人、中国人、韓国人、タイ人等がいた。英語圏はパス。フィリピン語もいいかな。中国語は漢字が苦手だからダメ。韓国語もいいかも。タイ語はどういうのかわからない。気持ちはフィリピン語に傾いていました。文字はアルファベットだし、スペイン語に近いって言うし。

 ところが、ある時気がついた。教室で日本語を勉強している人たちはわけのわからない文字を勉強しているんだと。それもひらがながあって、カタカナがあって、さらに数限りない漢字まである日本語の文字を。どうせやるのなら、今まで習ったことのない文字を使った言語にしようと、この時心に決めた。
 
 そうすると候補は、タイ語、インド語、ハングルを使った韓国語、アラビア語。何にしようか、考えながらも、この頃は日本語教育能力検定試験の勉強もしていたから、あまり真剣に考えてはいなかったと言うのが実情だった。 (続く)

2001/09/14 (金) おばさまたちのランチ

 ニューヨークの世界貿易センタービルがハイジャックされたと思われる飛行機によって破壊された二日後、私は珍しく外で昼ご飯を食べた、それも一人で。ごくありふれたファミリーレストランに入った。隣には私と同じくらいの年頃の主婦が6人、何かの会合の帰りだろう、みなきちんとした格好で座っていた。
 
 午後の日本語の授業の準備をしながら、私は聞くともなく彼女達の会話を耳にしていた。「ねえ、みんな携帯電話持ってる?私、持ってないんだけど、やっぱり持たなきゃいけないかしら。」という話に始まって、一昨日の世界貿易センタービルの事件の話になった。「イスラム過激派がラディン氏をかくまっているのよ。」とか、「イスラム過激派の人たちは...云々。」と、おばさま達の話にしてはかなりむずかしいレベルになってきて、同じおばさんの私はちょっとびっくりした。おばさまたちが昼ご飯を食べながらファミレスで話すのには、ちょっとそぐわないような気がしたからだ。日本も知らない間にこんなに政治意識、国際意識が高まっていたのか。私が一人で感心し、かつあせっていたら、話は突然こんな方向に向かった。
 
 「私の知り合いの子供が夏休みの語学研修でアメリカに行ってるんだけど、飛行機が飛ばなくて帰って来られなくなっちゃったんだって。しばらくアメリカに残らなくちゃならないんだけど、いつ帰って来られるかって心配してるのよ。そのうち鼻が高くなって、目も青くなって、『Hi!Mom』なんて言いながら帰ってきたりしてね。」

 う~ん、私は安心した。やっぱりお昼ご飯を食べるときは、これくらいの話をしながら食べなきゃね。それも主婦なら、なおさら。難しい話は、ご飯を食べてからの方が、いいよね。この話の後は、黙って聞いているだけだった人も話し始めて、6人グループで一つのトピックだったのが、いつか二つにそして三つになって、もう何の話をしているのか私の席では把握できなくなった。でもこれが本来の主婦のあるべき姿かも。こうやっておしゃべりしてすっきりして、家族のためにおいしい晩ご飯を作るんだろうな。語学研修の話をしたおばさまはかなりの切れ者だったりして。

2001/09/15 (土) タイ語を勉強するようになったいきさつ その2

 日本語教育能力検定試験が終わってすぐに、私は旅に出た。と言ってもパックツアーで、それもよくある東南アジア3カ国周遊6日間の旅。行き先はシンガポール、タイ、香港。私も夫もアジアは初めてだったので、よくわからず適当に選んだ。香港がまだ中国に返還される少し前で、返還される前に行ってみようと言うのが一番の動機だった。夫は香港に熱が入り、わたしは英語が通じるし、とてもきれいな街だというじゃない、の理由でシンガポールを選んだ。タイについては...

 1997年当時、日本はタイ・ブームだった。東京ではタイ料理がブレイクして、若い女性が「辛くて甘くておいしいの」とテレビのインタビューで話していたを覚えている。私が住んでいる千葉県K市にはタイ料理店なんて1軒もなくて、食べたこともなかったけど、そもそも辛いものが苦手な私には縁がないと思っていた。さらにTVでは最近麻薬で逮捕されたI.Iが「タイは若いうちに行け」って叫んでいて、そうか、タイは若い子が行くのかなんて思っていた。なんだか汚いイメージがあって、暑くて、臭そうで、食べ物は辛いし、あまり好きになれないなと思っていた.値段で選んだそのパックツアーにたまたまタイが付いていた.「きっとさ、タイなんて、今行かなかったら、一生行かないよね.一度行っておいてもいいかもしれないね。おまけだしね。」タイ行きはそうやって決まった。

 ところが旅行から帰ってきたら、シンガポールはまあまあだけど、これといった魅力がなく、香港は滞在時間が短すぎた上に最悪の日本人ガイドに当たり、散々。帰国してから夫と「なんだか、一番期待しなかったタイが一番楽しかったね。」「又、行きたいね。」と、いうことで、その2ヵ月後にはもうバンコクに行っていたのでした。

 夫はどうかわからないが、私がタイを気に入った理由に、タイの人たちの笑顔とそれからタイの人たちのミャァミャァ、まるで私の好きな猫が鳴いているような話し声があった。何か外国語を勉強しよう。それも知らない文字を使った言語を。そう思っていた私は、もうこれしかないじゃない。まさしくこれは天啓ね。さあ、タイ語を勉強するぞと張り切りたかったのだが、そうは問屋がおろさなかったのだった。(さらに続く)

2001/09/16 (日) タイ語を勉強するようになったいきさつ その3

  独学で、それもいいかげんな勉強をしていた甲斐あって(?)、日本語教育能力検定試験は見事に不合格。もう一度受けるか、もうやめちゃうか、選択の時。その頃は地域の日本語教室で、日本語ボランティアとして週に1回日本語を教えていた。学習者(日本語教室では、私は生徒とはけして呼びませんでした。)は、私たちのことを先生、先生と呼んでくれるけど、こんな能力のままで教え続けていいのかな。(私はこれがいやで、私のことは○○さんと、名前で呼んでもらっていた)日本語のことなんて何もわかっていないような気がする。もっともっと知識が欲しい。日本語を教えつづけるそのためにも、絶対日本語教育能力検定試験は、絶対に受かるぞ。旅行のことなんか考えながら勉強していた前回とは違って、今回は頑張る。そのためにも、検定のことしか考えない。本当は、タイ語を勉強したいけど、検定に受かるまではお預け。

 本当に最後にしたかったので、頑張った。でもそのことはタイ語とは直接関係がないので、「頑張った」の中に閉じ込めることに。でも、時々は、トンチャイ・メーキンタイ(P Bird)のCDを聴いたりして、タイ語に対する欲求不満を日本語教育検定試験合格へのモーチベーションにしていた。まあ、頑張った甲斐あって(この使い方は正しい)日本語教育検定試験に合格。1998年のことだった。

 検定に受かったときは、うれしかった。これで、タイ語が勉強できると思ったから。これがタイ語を勉強するようになったいきさつだけど、本当はこれからが、大変だった。それはまたいずれ。

2001/09/17 (月) ケータイ初心者だから

 実は、私は携帯初心者だ。使い始めてからまだ2ヶ月くらいしかたっていない。夫も私も携帯電話が嫌いで、ずっと持っていなかった。仕事からその必要性はわかっていたが、どこまでがんばれるか、やっていた。

 結構大変だった。自営業の夫に電話がかかってきた。夫は仕事で外出中。「携帯持っていないんですか?」と、びっくりしたような声が電話の向こうからする。外出中の夫にすぐに連絡を取りたいらしい。「はい、嫌いなんです。」遊び歩いているわけじゃあるまいし、帰ってから連絡させますよ。「申し訳ありません。連絡があったら、電話させます。」こんなやりとりも何回もした。

 そもそも私は電話が大嫌い。本を読んでいたり、音楽を聴いていたり、テレビを見ていたり、私が楽しいことをしているのに電話の音は邪魔をする。これが嫌い。間違い電話だったりすると、なおさら。

 そんな私たちが携帯電話を持ったのも時代の必然かしら。ほとんど使うことはないが、まあ、そう邪魔にもしていなかった。ところが...

 昨日、ふと気がつくと着信のメッセージが。それも見知らぬ電話番号。私の携帯の番号を知っているのはごく少数。ほんの身内だけ。この電話は一体誰?03ではじまるから東京の人。誰、誰?この携帯から電話しても、家の電話からも電話しても、電話番号が向こうに残ったら嫌だな。全然知らない人の可能性もあるもの。そうだ、明日ジャスコで買い物をする時に公衆電話から電話してみよう。

 そう思って、今日ジャスコへ買い物に行った時に電話をしてみた。「はい、××です。」テープの音声だ。相手の名前は良く聞き取れなかったんだけど、そんなものは必要ない事がその後のメッセージでわかった。「このサービスは18才未満の方はご利用になりません。」そうか!そういう電話だったのか!昨日から気にしていて、損した!
 
 携帯電話の迷惑メールとか、世間を騒がしているのは知っている。それが嫌で、i-modeには入らなかった。携帯でまでネットにつなぎたくないと思う。でも、メールじゃなくても、こんな手で営業してくるのね。携帯初心者だから、誰か用があって電話をかけてきたのかと思った。確かに向こうには用があったんだろうが、私には用はない。やっぱり便利なものの裏にはなにかあるのねと、コンピュータに散々てこずらされている私は、これからもこういうの来るかなと、少しうんざりしているのです。

2001/09/18 (火) 猫も人間の言葉がわかる....?

 猫を飼っている人の多くは猫の言葉がわかると言う。私も大体のことならわかる。でも、猫語が下手らしくて、同じように言ってみるんだけど、時々通じないことがある。
 
 猫語が通じないときは、やっぱり人間の言葉で言うしかないだろう。あんがい、猫は人間の言葉を理解するのだ。友人の家のCCは(別にシーシーって名前じゃないよ。とりあえず匿名ってことで名前のイニシャルね)、人間の言葉を理解する猫の一匹だ。

 最近CCは、外で悪い友達と付き合っているらしく、皮膚病をもらってきてしまったらしい。CCは女の子で、それもかなりの器量良し。チンチラの混ぜ子(ハーフのことね)なので、想像つくでしょ。彼女の皮膚病は顔にも出て、鼻のあたりが黒くなってしまったらしい。普段が美人だから余計そう思うのか、飼い主パパが「CC、汚いぞ。」と言ったらしい。すると、彼女よっぽど気を悪くしたらしく、外に出て行って帰ってこない。なんとその夜はどこかで外泊と決めこんだらしい。普段から近所にやさしくしてくれる家があるので、飼い主もそれほど心配はしなかったが、まさか、パパの「汚い」の一言が原因とは思わなかったらしい。

 そのうち、CCが帰ってきたので、パパが「お帰り」と戸を開けてあげると、彼女怒っていて入って来ない。「まさか。汚いって言ったから、怒ったってわけないよな。」と飼い主パパは言っていたけど、飼い主ママも私も、それから他のたくさんの人たちも、みんなで、「そりゃ、飼い主パパが悪い。女の子に汚いなんて言うなんて。」と、一斉攻撃をするので、「だって、本当に汚かったんだもの」と飼い主パパは小さくなっていた。

 もう、CCは機嫌を直しただろうか。猫の悪口を言うときは、あまり本人の前で言わない方がいいようだ。もっとも家の猫トトは「変な顔」だの、「不細工」だの言われ慣れているのでそういうことは別に気にていないようだが、少しは気をつけることにしよう。

2001/09/19 (水) 「煙草を吸うときは窓を閉めて」って

 私は煙草が嫌い。一番嫌い。なぜって、頭が痛くなるから。そのにおいをちょっと嗅いだだけで何時間も、下手をすると一日中頭が痛くなり、気持ち悪くなる。嫌なにおいを放つ敵は煙草だけではないんだけど、とりあえずこれが一番の強敵。なぜってそこいら中にいるから。
  
 ある日「スーパー○○や」で買い物をした。JUS○○で買い物をするときもあるんだけど、その日は、○○やにした。JUS○○は建物の中心が吹き抜けの造りになっていて、底の部分が喫煙コーナーになっている。だから、建物中に煙草の煙が回ってしまい、JUS○○に買い物に行った時は、決まって頭が痛くなる。でも、いろんなお店が入っていて、便利だからつい、JUS○○に行ってしまうんだけど、その日は○○やにした。

 この○○やは小さいお店なので、買い物も簡単。「どっちにしろ、今日は少しだけだからね。楽チン。」と思っていたら、帰りの駐車場で、私が歩いているその脇を1台の車がすうっと近づいてきた。べつに駐車場だからあたりまえね。若いおねえさんが運転している。右手に火のついた煙草を持っている。もう夕方だから赤い煙草の火は目立つのよ。ヤバッ!窓が開いている。と思ったそのとき車は私の右側を走っっていった。

 開いている窓からは煙草の煙が私の方へ。ウッ。鼻を抑えたけど、もう時すでに遅し。煙を吸ってしまいました。ほんの少しでも私には十分。それからご飯の支度をする間中、更に寝るまで(本当は寝てからもちょっと)、頭が痛かった。
 
 駐車場で、多分私は嫌な顔をしただろう。でも、しょうがないの。本当に嫌なの。お願いです。喫煙者の皆さん、車の中で煙草を吸う時は、窓を閉めて吸って下さい。歩行者に迷惑ですよ~。でも同乗者の迷惑も考えたら、車の中では(もちろん、どこででも)煙草を吸わないのが一番なんだけど。

 買い物の時も、レストランで食事をする時も、煙草のことを気にしないで済む、そういう世の中に、いつになったらなるのかな。

2001/09/20 (木) 山登り

 甥が山に登った。彼は山が大好きで、大学でも山岳部に所属している。私には山のことはわからないのだが、とても魅力的らしいのは、彼の話からもよくわかる。彼は大学の4年生なのだが、この時期に就職活動もそっちのけで、山に登っているなんてどういう事なのか、本人はよくわかっているにちがいない。

 彼が登ったのは、スイスのマッターホルンで、ついこの間、「登頂に成功しました」というメールが届いた。良かったねと喜んでいたのもつかの間、彼から国際電話が。倹約家の彼のこと。一体なんだろうと少し心配だった。電話をとったのは夫で、彼とは血のつながった叔父さん。電話代がかかるから私は代わらないでいいよと、夫に合図をして電話の内容を待った。
 
 マッターホルン登頂には成功したのだが、凍傷にかかってしまい、少し帰国を早める予定だと言う。ちょうど彼の帰国時期に私がバンコクに行こうかという計画があり、たまたま私の教え子で、現在ヨーロッパ旅行中のアメリカ人もその頃バンコクに立ち寄る予定になっている。みんなで会えたらおもしろいね、なんて話を彼がスイスへ出かける前にしていたのだ。彼のチケットはバンコク経由になっていて、彼もマッターホルンでの緊張をバンコクでふにゃ~と解きたかったんだろう。それとも可愛いアメリカ人に会いたかっただけかも知れないが。

 バンコクには行かないことになっていた。LOSOが来日するからだ。福岡へ行くのと、バンコクに行くのと航空券の値段がさほど変わらないのには驚いたが、そういうわけで1回分のバンコク行きが消えた。甥には、早速メールでバンコクには行かなくなったことを知らせておいた。

 「今、ドンムアン空港で、飛行機を待っています。」というメールがさっき届いた。山での緊張を解く南国には今回は寄らずに帰ってくることになってしまって、残念かな。でも、私には計り知れないくらいの山の恐ろしさと山の素晴らしさを、彼は又実感して帰ってくるんだろう。若いうちにしかできないことを、精一杯楽しんで、そして、苦しんで。ちょっとそんな彼がうらやましい。

2001/09/21 (金) セーク・スクピマーイの声

 セーク・スクピマーイって、誰?(だよね、やっぱり)セークは、タイのロックバンドLOSOのギター弾き兼ボーカリスト。曲も作る。LOSOは3人のメンバーから(途中1人ベースの交代があって、今は戻っているから、延べ4人)なるが、セークは中心的存在で、いわばLOSOの顔といっても良いだろう。セークの声について思っていること。

 彼のことで不思議に思うのは、彼の声。不思議な声をしているんじゃなくて(V6の健みたいに?)、普通歌手というのは、だんだん声が良くなくなってくるじゃない。(ちょっと、気を使って書いたけど、わかりやすくいうと、だんだん声が悪くなってくるじゃない)「若い時はいい声だったのにね」なんてケースがよくある。実際○○さんとか、××さんとか、結構いるじゃん。←ってこれは日本の歌手ね。いつかこの人たちについても書こうと思っている。ところがセークの場合は新しいアルバムを出す度に、あれ、また声が良くなっているという印象をうける。1枚目のLo Societyというアルバムを聴いた限りではいい声だとは思えなかったが、つい先日リリースしたthe Red Albumはセークの声に聞き惚れてしまう曲が何曲もある。彼の音楽に対する姿勢なのかしら。何か特別に喉や声に対して気をつけていることでもあるのかな。

 タイ人の歌手は、基本的に声があまり良くない。白人(タイ語でファランと呼ばれる)とのハーフの歌手が多いのも、単にルックスの要素だけでなく、声の良さを求めて製作側が意図的に使っているのではないかと言う意見もある。これには私も賛成する。タイのポップスについてすべては知らないが、私がいい声だと思う歌手は、セークの他に、Thai Thanawut、Mr.Teamの男性ボーカルぐらいかな。

 声があまりよくないって言っても、魅力的であることにはかわりがないから、声が良くないって言うのは欠点にはならないんだけど、今日はLOSOを聴いていてセークの声についてちょっと考え事をしたので書いてみた。

2001/09/22 (土) LOSOに会ったよ!!

 今、福岡にいる。asian monthというイベントの一環で来日したLOSOを見に来た。朝8時半に家を出て、羽田に着いたのが、約束の時間を遅れること15分。三連休のせいで首都高がとても混んでいて、バスが遅れたのだ。まあ、ひやひやしたが、なんとか飛行機にも乗ることができて、一安心。

 国内線の飛行機に乗ったのは何年ぶりだろうか?LOSOのthe Red Albumを聴き終えたら、もう飛行機は本州をはなれていた。早い。あっという間に福岡だった。

 今、ホテルの部屋で、Tickle Teaというバンコクで買ってきたネコノヒゲ茶を飲みながら、さっき終わったライブのことを思っている。興奮さめやらぬ筆なので、ちょっと変かも。

 福岡市庁舎前広場を埋めつくしたLOSOのファンは、心地よい興奮に包まれていた。ファンサービス満点のセ-ク、やさしそうなラット、座っていたために始めのうちはあまりよく見えなかったヤイ.(←ということは、途中から立ち上がって、よく見えたってことですね.←その通り.)

  登場するやいきなり始まる Phanthip、Chanruuthee、Caisangmaa、Cakayaasiideeng、Mosairapcaang、karabaoの曲、raolenaai、mee、somsaan、theechoopnaai、PurpleHaze、Araikoyoom、khunthee、yaakhennaakhunと14曲中、カバー曲はたったの2曲.他はすべてオリジナルで、ファンは大喜び。

 屋外コンサートなのに、強行にカメラの使用を禁ずる係員にはちょっと困ったものだ。でも、タイ人が、ステージに近づいてステージに背を向けて、友達を撮りはじめたのは(もちろん係員も何も言えないし)ちょっと、おもしろかった。セ-クも2曲目か3曲目か興奮していてよく覚えていないのだが、「みんな踊りたいかい?」とファンを挑発するので、前の方は総立ちで、またまた係員は困った顔をしていた。

 セ-クは何をしてもカッコよかった。新しいアルバムから復帰したベースのラットはとてもやさしそうだったし、半ズボンで頑張っていたドラムのヤイは、ファンサービス満点で、最後までステージに残っていた。
 
 今日はじめて、LOSOを見た日本人はタイという国に対するイメージを変えたに違いない。タイ人も日本人も同じように熱狂するLOSOを見てどんな風に思ったんだろう。
 
 明日もLOSOのステージはある。こんなにハッピーで楽しいLOSOのステージ、もう一回おかわりができるなんて、こんなしあわせがあっていいのだろうか。

2001/09/23 (日) またまたLOSOに会ったよ

 今日も昨日に引き続いて、LOSOのライブの報告。
 
 昨日は夜7時45分から始まったが今日のライブは夕方の4時から。夕方と言ってもまだ陽は高く、昨日とは打って変わった雰囲気だった。昨日と同様、椅子席に前にあるあいているところ(これはつまり、dancing areaってこと?)に座りこんで、開演を待つ。いよいよ。ヤイとラットはすぐに出てきたけど、セークはちょっと遅れてきた。なんとこの暑いのにジャケットを着ている。1曲演奏して、「暑いね~」と言いながら脱いでしまったけど。
  
 今日のオープニングは、Somsaan続いて Chunruutheethiiplianpai Caisangmaa Phontokthiinaataang Saahaat Cakrayaansiideeng Mosairapcaang Karabaoの曲らしい、Yaakdaiinwaarakkan,Mee,Phanthip,Theechoopnaai,不明,Maitaairookthee Khunthee Yaakhennaakhun.以上。昨日より2曲多い16曲。the Red AlbumからのPhontokは大好きな曲なので、うれしかったが、まだみんなになじんでいないのか、口ずさんでいる人が少なかった。冒頭のフランス語の部分はテープだったみたい。Yaakdaiin waarakkanはLOSOのオリジナルではないが(アサニー&ワサンの曲)、アサニー&ワサンの曲を集めたアルバムでセークが歌っているので、ファンにはおなじみだろう。ただ昨日やった超人気曲、Araikoyoomを今日はやらなかったので、今日より昨日の選曲のほうがよかったと言う人もいたようだ。私は個人的には、今日の方が好きかな。

 この二日間は本当に楽しかった。はるばるやってきた甲斐があった。LOSOのメンバーは、セークはもちろん、ヤイもラットも、それからクランもみんな本当にファンに対してやさしかった。これはひいき目かもしれないが、演奏、取材、そしてまた舞台と、疲れているのにもかかわらず、みんなにサインをしてくれたり、一緒に快く写真撮影をしてくれたり、本当にファンのみんなはLOSOのファンであることにより一層の喜びを感じたに違いない。

 明日から、また日常が始まる。この夢のような二日間は終わってしまったが、時々は思いだして、生活していく糧にしたい。セーク、ヤイ、ラット、そしてクラン、本当にありがとう。 

2001/09/24 (月) LOSOに魔法をかけられてしまった。

 福岡から帰ってきた。飛行機は本当にあっという間だった。福岡空港から地下鉄で中心地までいけて、とても便利なところだった。それに比べて...まあ、やめておこう。

 とても楽しかったけど、なんだかすごく疲れてしまった。非日常な時は楽しくてつい無理をしてしまうのかもしれない。日常も疲れるけど、あまり無理はしない。早く日常に戻らなくてはならないのだが、撮ってきた写真やら、思い出やらを整理しなくては日常に戻ることができない。今夜、急いで整理してしまおう。

 といっても、日常の合間に、この楽しかった非日常はしょっちゅう顔を出すにちがいない。さっきも、LOSOのVCDを見てしまった。彼らに直接会う前と、今では同じシーンを見てもとらえかたが違うのはあたりまえのことなのだが、変な気がする。

 この二日間の間に、魔法にかけられてしまったようだ。魔法はいずれとけるものだが、この魔法はいつ、とけるのかな?

2001/09/25 (火) いまだ魔法さめやらず

 今日は火曜日。仕事の日。大丈夫かな?ちゃんとできるかな?先週末の魔法がまだ効いていて、頭の中はLOSOのことで一杯。一つの事しか考えられない私は、こういう状態が非常に危ないんだけど、しょうがない。魔法がとけるまでまだまだみたい。

 いい年をして、こういう、何かに夢中になれる状態になれるという事が自分でもすごくうれしいし、プロフィールにも書いたけど、世界で一番幸せな主婦かもしれない。こういう話を夫にしているくらいなのだから。夫も魔法がとけることを知っているから、話をあわせてくれる。彼に聞いてみた。この魔法はいつとけるのかなって。以前にもこういう魔法にかけられたことがあった。1990年のクリスマスにかけられた魔法は98年の夏頃まで効いていた。今度はそんなには長くはないと私は思っているけど、彼の答は来年の6月だった。え~、そんなに短くはないと思うんだけど。とりあえずこの日記に書いておこう。10年後を楽しみに書いているけど、10年も待たずに来年に楽しみが。来年の6月、果たして私にかけられたLosoの魔法はとけているか?

 客観的なこと。わたしはLOSO Liveを最前列で見た。時々、後ろを振り返って、普通の人たちの様子も覗いてみた。私たちは、当然LOSOのファンだから、演奏に夢中。大体はよく知っているおなじみの曲。一緒に歌えるか、歌えないかがその相違点で、聴いたことは、もちろんある曲ばかり。

 ところが、私たちの後ろで、聴いている人たちはどうなんだろう。私達のこの心地よさを共有してもらえているかな?お願い、楽しんでいて!そう思って振り向くと、私たちの興奮とはちょっと違ってじっとして聴いている。ちょっとがっかり。でも、だいじょうぶ。私は前回魔法にかかっていた7年間半で、よくわかっている。日本人は、自分の大好きな歌手が、楽しそうに歌っていても、本当は自分も楽しいのに、じっとしているものだって。今日はじめて聞く、タイのロックバンドの歌にびっくりしてるんだろう。タイ語で歌っているから何を言っているかわからないけど、音楽だから歌詞がわからなくても大丈夫だよね。そう思って、もう一度、うしろを振り向く...
 
 ところで、今日の仕事は?大丈夫。授業が始まったとたん、すっかり頭から消えました。頭の中は使役のことだけでした。でも、車に乗ったとたん、”コーワーチャ チュアンター パイデゥーナン....で、またLOSOに夢中。

2001/09/26 (水) Pearlを聴きながら

 今日こそはLOSOとは関係のないことを書こうと思いながらも、当日撮ってきた写真を見たりしていると、LOSOのことばかり考えてしまう。ま、いいか、今日は私の仕事はお休みだから。でも、素敵、素敵としか言えないから読んでもおもしろくないね。

 では、違う歌手のことを書こう。私の好きな歌手のこと。誰にしようか。そう、Janis Jopin。

 実は私はアメリカびいきだった。アメリカの音楽が好きで、ずっと聴いていた。でも、今は聴いていない。どんな曲が流行っているのか全然知らない。昔の曲を聴くこともあんまりないけど、何かの折に聞きたくなるのは、OtisReddingとこの Janis だ。他にも Chet Bakerと言うジャズのトランペッターがいるけど、今日はJanis。

 私が高校生の時、Janisが死んだ。ラジオを聞いていた。DJは私の好きな亀淵昭信だった。彼が話し始めたとき、その声で、Janisが死んだとわかった。悲しみも驚きもなかった。そうなることがわかっていたから。彼女は若くして死んで永遠の歌手になった。みんなが盲目的にJanisは素晴らしいと言った。でもそうかな?彼女は万人向きかな。あんな変な声で、変な歌い方で、激しい歌い方で、みんなが好きになるのかな。ずうっと、そう思っていた。みんながJanisJanisと言うものだから、私も好きって言うのが嫌だった。80年代もJanisは永遠のスターだった。90年代に入ってもはじめはそうだった気がする。
 
 90年代の半ばに、本当にJanisは偉大だったのかと言う記事を見て、心の底からうれしかった。多くの人が盲目的に、良い、良いというものに、本当に偉大なものがあるものか。もう一度、自分の目で見て、耳で聴いて、本当の判断をして。同じ結果だとしても。
 
 私はJanisは歌手としては偉大だったと思っている。あれだけの安らぎをあたえてくれる歌手はいない。Little Girl Blueを聴くと、今でも涙が出てくる思いだ。彼女があと、少し生きていたら、Pearlを完成させていたらと思う。そうしたら、もっと丸みを帯びたもっと暖かいJanisがこの世の中にいたのかもしれない。それはそれで素敵ね。Buried alive with Bluesはどんな曲になっていたのかな。Janisを聴きながらそんなことを考えるのも素敵ね。

 ここのところ聴いていないKALAを聴こうかと思っていたけど、Janisにして良かった。KALAじゃLOSOを思い出してしまうから(って、思い出してるんじゃないの!!)

2001/09/27 (木) LOSOへの思い その1

 昨日のJanisのせいか、LOSOへの思いの様子がちょっと変わった。あいかわらず、LOSOは好き、大好き。セークも好き。少し老けてこようが、あいかわらずベロ出しをしようが、すごい女たらしだろうが好き。LOSOの音楽は好き。ヤイの煙草は嫌だけどヤイのドラムは一番好き。LOSOは好き。

 LOSOは好きなんだけど、昨日Janisを聴きながら考えたことが、心の中にくすぶっている。本当に私らしくLOSOを好きでいるか?今、心の中に迷いがある。

 LOSOが日本に来ると聞いたとき、「あ、そうなんだ」その程度の思いだった。「LOSOのライブに行くんでしょ?」と聞かれても、「いいえ、行きません。コンサートには行かないことにしているから。」と答えていた。それが私の姿勢だったのだ。それには理由がある。もう40才台半ばの私には体力がない。タイのコンサートはたいていオール・スタンディング。特に年のことも考えずに私が聞く種類の音楽は、椅子に座ってゆっくり聞くような音楽ではない。ずっと立ち続けて音楽を聞くほど、私には体力がない。もうひとつ。私は煙草が嫌い。コンサート会場でなければ、ライブハウスがある。以前、日本の歌手の追っかけをやっていた時に、本当の自分を殺して、煙草の煙の充満するライブハウスに通ったことがある。ただただ彼の声をじかに聞きたかったからだ。その喜びの代償として、かなりひどい頭痛を得たが。ライブハウス、そういうところでは、お酒と煙草はついてまわるだろう。立っているのもダメ、煙草もダメ。というかなりわがままな私には、家でゆっくりCDを聴くほうが似合っている。

 それなのに、今回は福岡まで行ってしまった。野外のステージだというので、ちょっと心が揺れたからだ。屋外であれば狭いライブハウスほどは煙草の害はないだろう。椅子もちゃんと用意されているとのこと...。私の心は揺れた。行こうか行くまいか悩んだ。ちょっと先に計画しているタイ行き。両方とも実行するほどの予算はないし、どちらかをあきらめなければならない。私が私らしさとしている一つに「やらないで後悔しないこと」というのがある。後悔というのは、やったことを悔やむのではなくて、やらなかったことを悔やむのだと思う。その考えから、思い切って行くことにしたのだ。

 出かけるまでの行動には迷いがない。私らしい考えだから。それなのに、なぜ今、こんなふうに心の中に迷いがあるのだろう。 (続く)

2001/09/28 (金) LOSOへの思い その2

 興奮の真っ只中にいて、興奮を道連れに帰ってきた。家人に興奮をありのまま話す。話していると、興奮していて自分の居場所がわからなかった感情たちもやっと自分の居場所を思い出して、やっと少し落ち着いて気になってくる。しかし、福岡へ行く前に聴いていたLOSO以外の音楽たちはどこか隅のほうへ押しやられ、小さくなっている。帰ってきてから二日ほど、そんな状況だった。LOSO以外の音楽を聴いただろうか?

 少し興奮もおさまって、ネットの書き込みなどを見てみる。みんな興奮して書いているのがわかる。凄い量だ。一気に読んだ。すると、私の中で何かが変わった。久しぶりにJanisを聞いた後だったので、心がpureになっていたのかもしれない。書き込みをちょっとだけ醒めた目で見ることができた。昨日の夜にはできなかったことだ。そして、感じた。自分らしくLOSOを好きでいただろうか?
 
 福岡へ行ったことは後悔していない。とても楽しかった。しかし、多くのLOSOファンに会って、自分の心が虚ろになってはいなかったか?人の言葉に一喜一憂してはいなかったか。たまたま拾った情報を針小棒大に理解していなかったか。そんなにLOSOのことだけを聴きつづけていたのか。バックステージに行ってまで、情報を集めつづけなければならなかったのか。私の生活のすべてを埋め尽くすほど、果たして大事な存在だったのか?LOSOが来ると聞いた時の私の醒めた感情。発表されてもすぐには手に入らず、しばらくしてから入手した LOSOLAND。手に入れたのはつい最近のこと。チェンマイのテレビではじめてLOSOを見てから、ずっと気にはしていて、好きなアーティストではあったけど、あれほど急に夢中になるのは、やっぱり私らしくない。

 すうーっと、心が軽くなる気がした。思い切って、KALAを聴いてみた。とても楽しかった。LOSOに戻ってみた。やはり楽しかった。KALAに比べれば少し重い気持ちだけど、楽しめた。ちょっと心配な実の息子がLOSOだとすると、KALAは隣に住んでいていつも遊びに来る妹の息子。実の子だけに、ハラハラドキドキしていたのね。これからはLOSOもKALAも妹の子。私は心配をすることなく、遊びに来たときだけ楽しい話をすることにした。

2001/09/29 (土) 日本語教師のこと

しばらくLOSOの事ばかり書いていたが気持ちの整理もチョコッとだけついたので、日本語のことについて書こう。

 先日、生徒のLさんから出された質問。欠陥という言葉の説明をしていた時、「個性に使えますか?」と質問してきた。「あの人の個性には欠陥がある。」そう言ってあげたい人はたくさんいるよね。私を見るなり「あなたは毎日だらしない生活をしているでしょう?だから、だらしない体格になるのよ。」と言い放った日本人のHさん。それが私にものを頼む態度かね...。そういう人の個性には欠陥があると言いたいけど。それを言ったら終わりでしょ。だから日本語の先生としては「いいえ、個性には使えませんね。個性は良くても悪くてもそれ自体が個性なんだから…」と、わかったようなわからないような説明をしましたが。日本語を教えていると、哲学的なことを聞かれて、困ることもある。

 かと思えば「銀行の利子の計算方法を教えて」だの、「二人目の子どもが生まれたら、税金はいくらになりますか?」といった、私には処理しきれない問題を聞いてくるのでちょっと待ってよと、言いたくもなる。もちろんこういった問題には、どこそこへ行って聞いたらわかるから、そこで聞いてくださいと答えているが。

 経済や、科学、物理の問題は、「私は日本語の先生だからわかりません」で済むが、日本の歴史や政治の問題になるとそうもいかない。日本語を勉強する外国人の多くは、日本にとても興味を持っている。日本の歴史、日本の文化、日本語はもとより、その背景にあるものにも。そのため「長宗我部氏について教えて下さい」とか「小泉首相の言う聖域なき構造改革の聖域とはなんですか」といった問題を突然ぶつけられることになる。こんな時は冷や汗ものだ。その場で簡単に答えられるようなものならいいけど、うろ覚えで不確かな場合もある。大抵は「う~ん、難しい問題だから、少し時間を下さい。この次に説明するのでいいかしら?」と逃げる。この先生への宿題が、結構大変で、授業の準備より時間がかかることもある。

 だけど、嫌じゃない。私が関心すら持とうとしなかったことに疑問をもつなんてすごいなと、いつも思う。生徒のおかげで知らなかった日本のことを知るようにもなったし、普段から日本のことに気をつけるようになった。日本語教師になったおかげで、日本のことに興味を持つようになった。

2001/09/30 (日) タイ語が聞き取れない

 最近タイポップスの意味が少しわかるようになってきた。本当に少しだけど、何を言っているのか、全くわからなかった聞き始めの頃に比べれば、バラードなら歌詞を追う事もできるようになったし、簡単な意味ならわかるようにもなってきていた。

 「今降っている雨のことより僕は君のことのほうが気になるんだ」とか、「僕は有名じゃないし、お金もあんまり持っていない、でも僕は君に嘘をつかないよ、こんな僕を愛してくれる?」なんて意味がわかったりすると、もう、うれしくなった。地道な勉強はほとんどしないで、タイポップスを聴いて勉強した気になっていた。

 そんな時、LOSOのライブに行った。福岡に来ていたLOSOファンの多くはタイ語を話した。日・タイ経済協力協会(JTECS)が開催するタイ語検定試験の4級に受かったけど3級には落ちた人、4級に落ちた人、一度も受験をしたことがない人、そういう人たちだった。実は私は4級に合格しているがまだ3級には挑戦していない。それは受かりっこないことがわかっているからだ。4級をかろうじて受かった私と3級に後一歩という人では、そこには計り知れない隔たりがあった。

 最後の夜、何人かのLOSOファンとタイ料理店に行った。その店にはタイ人シェフがいて、私たちがタイ語で挨拶しながら入っていくと、とても喜んで、前日の昼間、LOSOが食事に来たんだよとか、自分はノーンカイの近くからきたんだよとか、いろいろな話をしてくれたらしい。私にはわからなかったのだ。他のみんなはわかったのに、私だけわからなかった。私だけが取り立てて低い能力というのでもないのに。改めて聞いてみると、みな、現在タイ語の学校に通っている。毎週タイ人とタイ語で話しているのだ。さらに聞いてみると、タイ語は読み書きできないという人もいた。ローマ字で習っていると言うのだ。私は読み書きはできても、話が理解できない。読み書きができなくても話ができるのと、どっちが得か。考えるまでもない。
 
 またしても、独学で勉強している弊害だ。しかし通える範囲にタイ語の学校がないので、すぐ解決に結びつく方法は見つからない。でも、本当に何とかしなくちゃ。家にタイ語のテープ、CDそうそうVCDも総動員して、私の耳の大改造をしないことには、タイ語を話せるようにはならない。LOSOに逢えてうれしかったけど、タイ語ができないことを再認識して、実はちょっと悔しかったのだった。

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